『道化の涙は血の涙という。 道化とは完全な認識を得ようとする人間のことだ。神にもっとも近づいた時のあり方だが、しかし、人間は神ではない。賢明な道化はそのことを知っている。だから道化にできるのは、あたかも自らが神であるかのように、あたかも自らが世界の究極の意味を知っているかのように振舞うことだけである。あらゆる道化につきまとう演技性はこうして生まれてくるのではないか。フェステやタッチストーンは、あるいはハムレットやフォールスタフは、愚者ないし狂人を演じているにちがいないが、彼等はまた神をも演じているのである。(喜志哲雄「シェイクスピアの道化」)』

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